田澤山
田澤山長秀院(でんたくさん ちょうしゅういん)は、禅宗の一つ曹洞宗(そうとうしゅう)のお寺です。長秀院の本末関係は清明町の常光寺を本寺に仰ぎ、同門寺院には、大森の円通寺、清水町の仲興寺、東湯野の明光寺、同じく法伝寺等のご寺院があります。

    丹治一族が田澤に入り、
      長秀院の前身「長秀庵」結庵される
 現在より約420年前の天正年間に、田澤村開拓の祖、丹治但馬・同丹後・同縫殿之介の三兄弟が(一説には「主従」の関係であったとも伝えられる)、現田沢・清水町の旧「田澤」村に入ったと伝承されています。丹治一族が、どこから、どのような経緯で信夫の地に至ったのかは明らかではありませんが、当時支配していた伊達家の庇護が大きかったと思われます。(一説には後の上杉家の庇護とも言われている)
余談ながら、全国にいる丹治さんたちがそのご先祖を辿ってみると、最後には福島に行き着くと言います。そのため田沢・清水町地域は戦国時代以降では「丹治一族の発祥地」と認識されています。
 三兄弟の末弟、丹治縫殿介(たんじ ぬいのすけ)は、無常を観じて深く仏に帰依し、剃髪して屋敷のあった石内の地に庵を結び、「長秀庵(異称・長松庵)」と名付け自ら庵主となりました。 
    長秀院開創
 元和3年(1617)11月12日、常光寺4世機山長全大和尚を「開山」に請して、「田澤山長秀院」が正式に曹洞宗寺院として開創されました。

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 「平常心是道(びょうじょうしんぜどう)」
 日本人にとても親しまれている禅語です。読み方は禅宗の伝統的読み癖としては「びょうじょうしん・・」なのですが、現在は「へいじょうしんこれどう」が一般的になっています。(辞書)にはどちらの読み方も掲載されていますから、現在一般的にはどちらでも良いことになっています。ただ伝統的に、また禅宗的には前者の読み方といえます。
 この禅語の現在の流行は、比較的最近の20年ほど前です。時の総理大臣が慣用句のように使用し、それが主にスポーツ選手に重宝がられ、「今回の試合には、平常心をもって臨みます。」
というように使われ、現在も流行っているということです。禅宗を代表する言葉のように使われていますが、意味は深いものがあります。「普通の心持ち」と理解されていますし、緊張しないでとか、当たり前にとも訳されます。間違いではありませんが、少し薄っぺらに感じます。「生きる中で、いかなる条件の苦しみやせつなさに出会っても、どんな楽しみや喜びにめぐり合っても、根本の苦である四苦八苦の中で生きているわたしたちは、仏の悟りの心を基準として、これを平常の心として保ち、修行の道を日々実践していく」ということです。
 現在使われている意味も含んでいますが、「薄っぺらに感じる」ということの内容を理解して頂いたでしょうか。
 平常心は仏教の、また禅宗の理想の生き方です。そのような「本当の幸せ」を生きて行きたいものです。

観音札所
 第14番札所 長秀院十一面観世音菩薩(本尊)
  福島の観音霊場は「信達三十三観音」が特に有名で、伊達郡と旧信夫郡北部を中心とした観音霊場巡拝が続けられています。観音霊場は、あまり目立ちませんが旧信夫郡を巡る「信夫三十三観音」もあります。長秀院の本尊十一面観音様も第十四番札所の観音様となっています。時折巡拝団の方々が訪れ、同第二番と呼ばれた貝沼観音(現在は第二番ではなく、番外となっている)と共に参詣参拝されています。
春の長秀院空撮映像