田沢・清水町・蓬莱地区の変遷
このたび、福島県住宅供給公社より年代の異なる地区の航空写真を寄贈いただきました。本堂に掲示するとともに、ホームページにも公開して当時を振り返ってみたいと思います。寄贈いただきました福島県住宅供給公社様には、改めて御礼申し上げます。
*昭和47〜48年(1972〜1973)当時
写真向って右から田沢杉ノ内・寺ノ前・山ノ内・御堂内・竹ノ内・沢尻・荻ノ草、松川町浅川中沢、そして左側には蓬莱町の6町会・7町会・8町会・3町会(現6丁目・5丁目・4丁目)が造成されたばかりである。
ちなみによく見ると、長秀院の第一霊園も完成したばかりである。

*昭和35〜36年(1960〜1961)当時
写真上端は清水町、田沢の木曽内・沼ノ上・清沢小学校・銅屋まで写っている。旧4号線の田沢のカーブはこの後、高度経済成長時代に事故の多い「死号線(4号線)魔の急カーブ」として全国紙に載るようになる。
現在の蓬莱町全域が山であったことがわかる。田沢、清水町、松川町浅川に囲まれた山が開発され、巨大な街が出現した感があった。
*昭和57年(1982)7月当時
蓬莱町の3分の2が写真に納まっている。蓬莱東小学校が完成している。現蓬莱町7丁目・8丁目はまだ住宅が建設されていない。